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スタッフブログ

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カレン・キングストン著『ガラクタ捨てれば自分が見える』

2020年01月12日

 

著者のカレン・キングストンはイギリス生まれ。1990年からは10年間、バリ島で生活していました。長年、風水とスペース・クリアリングを研究して、建物エネルギー浄化の先駆者となりました。この本は日本での初版が2002年だったので、まだ「断捨離」という言葉も知られておらず、こんまりさんも世に出る前の風水整理術入門書と言えます。田村明子さんによる翻訳も読みやすく、ウィットに富んでいて面白いです。日本語版のタイトルも秀逸ですね。

 

風水と言えば、今や大統領となったトランプ氏が、ニューヨークにトランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー(1997年完成)を建築した際には、中国・広東省から風水師を招いてアドバイスを求めたことが当時大きなニュースになりました。

 

ところで、「ガラクタ」(clutter)とは、オックスフォード英語辞典によると、整理されていないまま山積みとなったもの。そして、そうした要らないものが人に与える影響には以下のようなことがあるそうです。
*疲労感を覚え、無気力になる
*過去の呪縛を溜め込んでしまう
*体の働きを滞らせる
*何事も延期しがちになる
*不調和が起きる
*自分を恥じるようになる
*人生の展開が遅くなる
*気分が鬱になる
*感性が鈍る
*大切なことに頭がいかなくなる

 

本書にはこうもありました。
―これまで人々が試してきたガラクタ処理法は以下です。
*自然のままに任せる方法(別名・決断放棄型)。自然に腐っていくような場所に保存して、
 嫌でも捨てざるを得なくする方法。
*死ぬまで待って親戚に片付けてもらう方法。何世紀もの間、人々が最も活用してきたのは
 この方法です。
*責任を持って自分で片付ける方法。私がおすすめするのはこの方法です!
一番難しいのは、あなたが腰をあげることです。いったん始めさえすれば、どんどんエネルギーが湧いてきますから、自然に続けていくことができるようになります。―

 

確かに、片付けを始めるまでは億劫でも、いったんやり始めるとスイッチが入りますよね。私も今年はまず腰をあげて、引き出し一つずつからでも片付けを習慣にしたいと思います。(H.S)

 


英語版の表紙

 


著者のカレン・キングストン( 本人のウェブサイトより)

須賀敦子著『トリエステの坂道』

2019年12月22日

須賀敦子さん(1929-1998)は、エッセイストでイタリア文学者でした。若き頃に通算10年以上イタリアで過ごし、イタリア語を学び、イタリア文学の翻訳に取り組みました。1961年には、ミラノでイタリア人のジュゼッペと結婚しましたが、数年後ジュゼッペが急逝、日本に帰国します。その後は大学で教鞭を執っていました。

 

トリエステはイタリア北東部、スロベニアとの国境にある人口20万人ほどの港町。『トリエステの坂道』は、須賀さんが、イタリアの詩人ウンベルト・サバの足跡を辿るためにサバの出身地であるトリエステを一人訪れた時のエッセイです。

 

以下は本文からです。
「たとえどんな遠い道のりでも、乗り物にはたよらないで、歩こう。それがその日、自分に課していた少ないルールのひとつだった。サバがいつも歩いていたように、私もただ歩いてみたい」
「なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年まえの六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか」

 


ウンベルト・サバが営んでいた書店の現在
画像は、「食の工房オフィスアルベロ」さんのブログよりお借りしました

 

トリエステは中世以来、オーストリア領となっていましたが、第一次世界大戦後の1919年にイタリア領になりました。文化的にも特異な都市で、ウィーンの文化や人々に対しては尊敬と憎しみがないまぜになった感情を抱き、言語的=人種的には絶えずイタリアに憧れるという二重性がトリエステ人のアイデンティティーを複雑にしていました。町の家々もイタリア風というよりオーストリア的だと須賀さんも書いています。

 

観光大国イタリアにあって無名とも言える、歴史に翻弄された辺境の町トリエステ。須賀さんが、「坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていた」と書いていた名もない坂道を、ふと私も歩いてみたくなったのでした。須賀さんの静かさをたたえた、ぶれない確かな文体が、見知らぬトリエステへの郷愁をそそるのです。(H.S)

 

 

【動画】ETV特集 須賀敦子 霧のイタリア追想~自由と孤独を生きた作家~ 2009.10.18 須賀さんの貴重な肉声は 56’16”から

マーク・ピーターセン著『日本人の英語』

2019年11月14日

この本は、英語学習者にとっては必読書ともいえる一冊だと思います。このウェブサイトGEN は英語でも発信しているので、私もまだまだ英語学習者です。初版が1988年の本ですが、一度は理解したつもりでもそのうち忘れてしまうので、時々読み返してしっかりと意識に刷り込みたい内容です。著者のマーク・ピーターセン氏は、1980年に留学生として来日して以来、日本文学を研究。現在は大学教授として英米文学・比較文学を教えています。

 

 

最初に読んだ時の冠詞についてのくだりは衝撃的でした。なぜなら初めてその概念をリアルに実感できたからです。本文から一部抜粋したいと思います。

 

【 a は名詞につくアクセサリーではない】
―冠詞のない言語である日本語と、冠詞が論理的プロセスの根幹である英語の違い―
"Once upon a time, there were an old man and an old woman. The old man…"
―(むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは…)
日本語では最初に「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさん[は]いました」とは言えないのと同じように、英語で "Once upon a time, there were [the] old man and [the] old woman…" とは言えない。が、日本語の場合、一度そのおじいさんが「あるところにいたおじいさん」として紹介されたなら、その次のセンテンスから「おじいさん[は]」という表現は少しもおかしくない。それと同じように、英語の場合も一度そのold manが an old man who was として紹介されたら、語り手と聞き手の間の相互理解では、彼がthe old man となる。―

 

―英語で話す時も書く時も、先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞ではなく、a の有無である。適切な名詞が選ばれるのはその次だ。もし「つける」という表現をするなら、「a に名詞をつける」としか言いようがない。「名詞に a をつける」という考え方は、実際には英語の世界には存在しないからである。― 

 

そう言えば、英語のネイティブ・スピーカーが、まず a や the を言ってから、ちょっと遅れて次にくる名詞を言う場面をよく見ます。たとえば、I ate a…a…a rice ball. といった具合で、a を繰り返しながら次に言う名詞を思い出しているのですね。

 

ピーターセン氏も書いていますが、日本の英語教育では、こういった冠詞の本質を教えていない気がします(今は分かりませんが)。会話や発音に力を入れるのもけっこうですが、こういった基本的な感覚を身に付けることがまず必要だと切に感じます。(H.S)

角幡唯介著『極夜行』(きょくやこう)

2019年11月10日

ノンフィクション作家で探検家の角幡唯介(かくはたゆうすけ)さん著『極夜行』を読みました。

 


 

北極圏には、「白夜」の反対に何日も日が昇らない「極夜」という期間があり、その暗闇の中、一頭の犬(名前はウヤミリック)と八十日間旅した記録を克明に綴ったのがこの本です。それはスポンサーも付けず、GPSも持たない旅でした。

 

角幡さんは以前、あるテレビ番組でこう言っていました。
「冒険や探検は、宗教でいう巡礼に近い気がするんです」
「自分は、探検によって大昔の狩猟民の追体験をしたいのかもしれません」
そんな角幡さんのまっすぐで無駄のない眼差しの中には、自然に対する畏怖なのでしょうか、ほんのかすかに怯えがあるようにも見えました。

 

日々、当然のように太陽の恩恵を受けている私にとって、何か月にも及ぶ孤独で真っ暗な世界は理解をはるかに超えていましたが、角幡さんの明快な語彙、感性溢れる情景描写や、心象風景がリアルに伝わってくる圧倒的筆致のおかげで、私まで探検に同行させてもらったような達成感を得ることができました。探検の様子も決してストイックなだけでなく、笑ってしまうエピソードも多いし、自分の情けない部分も包み隠さず書いているのがまた潔いです。読んでいた何日間は、本を開いてエア探検することが私の生活のメインで、他の日常が何だかおまけに思えてしまうという不思議な感覚に陥っていました。

 

以下は本文からです。
「餌を減らしたうえ、一気に進んだことで犬は急速に痩せ衰え始めていた。寒さに強い犬種とはいえ、氷点下三十度以下での重労働である。あばら骨が浮き出て腰まわりが貧相になり、脚から尻にかけての筋肉がごっそりなくなっていた。身体中をなでて確認するたびに、可哀相で思わず涙が出そうになる」

 

犬に関しての描写は、やや醒めた感じがずっとしていたのですが、ようやくこの文章に出くわし、待ってました、やはり角幡さんにも血の通った優しい一面があったのね、と心底ほっとした私でした。そう言えば角幡さん、少し前にツイッターで「初めて胃カメラ飲んだ。苦しいですな、あれは」と言っていて、意外と普通の人だなと思いました(笑)。

 

さて次は、角幡さんがチベットにある世界最大のツアンポー峡谷に挑んだ時の記録『空白の五マイル』を読む予定。彼の書く文章はとにかく面白く、中毒性があるのか次から次へと読みたくなってしまいます。(H.S)

 


次の北極圏行きに向けて犬たちの訓練
ウヤミリックもいます(一番右) 
(画像は角幡さんのツイッター @kakuhatayusuke より)

 


そりを製作中の角幡さん
(画像は同上) 

 

【動画】 探検家 角幡唯介さんに聞くー「極夜」への挑戦(本人撮影の映像も)(11'44")

池上永一著 『統ばる島』(すばるしま)

2019年08月29日


―すばる【統ばる】集まって一つになる。(大辞泉より)

 

『統ばる島』は、『テンペスト』などで知られる、沖縄・石垣島育ちの作家、池上永一さんの短編小説集で沖縄・八重山諸島の八つの島がテーマになっています。八つの短編すべてがそれぞれの島の風土を織り込んだ、ウィットに富むストーリーでとても面白いのですが、中でも強烈に印象に残ったのが「西表島」(いりおもてじま)の章です。

 

西表島には三回ほど行ったことがあり、その章で描かれている太古を思わせる自然、山のむせかえるほどの草いきれや湿度にいたるまで、あまりにリアルだったので自分がまた島にいるかのように感じるほどでした。そして想像を超える展開、雌雄としての原始的本能の描写は衝撃的です。

 

以下は、章の冒頭と終わりからの引用です。
―八重山諸島の屋根と呼ばれる西表島は、南海の秘境だ。八重山諸島のなかでももっとも巨大で人を寄せつけない。高峻な山肌は常に雲のヴェールを纏い、その全貌を見ることは不可能である。西表島より高い山脈は世界中至るところにあるが、この島の山の特徴は高さではなく深さにある。今入口で見上げているのは氷山の一角で、一歩足を踏み入れればコンパスも役に立たない熱帯雨林になる。―

 

―船から山の装備をした若者がどやどやと下りてきた。到着したばかりの彼らに定年間近と思われる男が近づいてきた。「私は島の研究所で技師をしている古見と申します。もしかして山で野営を予定していませんか?」
山は原罪を覆い隠し今日も生い茂る。―
(H.S) 

 


浦内川のマングローブ林と砂浜
とても日本とは思えない自然が目の前に広がります

 

カンピレーの滝をめざしてジャングルをトレッキングすると
道が沢になっている箇所がいくつもありました

 


約一時間後、ようやくカンピレーの滝に到着
カンピレーとは「神の座」という意味
高低差はあまりない滝なのですが、何とも言えない神々しさです

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